誰かを愛したいって思っても良い。




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感情というのは波のようなもので、大きく揺れ動く時もあれば、小さくさざなみのように揺れ動く時もあるかと思います。


頑張りたいなって感じる時もあれば、頑張りたくないなと感じる時もあるもので、人は感情の生き物である以上、常に同じような気持ちでは張れないものです。


僕自身、心理学を学ぶ中で、心の中に頑張れない自分がいるということを知った時に、強く絶望を感じたものです。頑張れない時があるということは、あまったれな自分が出ちゃう時があるってことか、、と。


常に迷惑をかけないような、誰も不快にさせないような自分でいたいという思いが強かったのもあり、弱音を吐いてしまい、頑張りきれない自分というのがすごく嫌だったんですよね。


昔から、全く弱さを誰にも見せないような自分になりたいという思いが強かったんです。今なら、どれだけ自分の弱さを見せたら嫌われると思ってたのか、というのがわかりますが、数年前に心理学を学ぶまでは、この誰かに迷惑をかけてしまう弱い自分が酷く嫌だったのです。


どこか、頑張り続けられた時、弱音も全く吐かずに頑張ることができた時、誰にも迷惑をかけないような気がするものです。誰にも迷惑をかけないなんてことは不可能でも、どこか絶対に自分は誰にも迷惑をかけないと感じたかったと思うんですよね。


それは人に嫌われたくないという思いもあったかと思います。でもどちらかと言うと、人に迷惑をかけてしまう自分がその場に居ていいような気が何だかしなかったのですよね。


人によって迷惑をかけたくないとか、嫌われたくないとか、そう感じる理由って様々だと思うのです。ただそういった理由って、自分のためというよりは、周りの人のことを思うことからきてる理由だったりもすると思うのです。


例えば、僕の場合は、自分がそこに居ても何も良いこと起きるわけがないとか。自分が居ても居なくても何も変わるわけがないとか。どこか、自分の存在自体を否定的に見ていたところがありました。


そんな見方を自分にしている時、人の輪に中々飛び込もうとしないとか。逆に感情を切って人の輪に積極的に飛び込むとか。何だか、自分自身が本当はどうしたいか、どんな自分でいたいか、という部分との繋がりが切れてしまうのですよね。


でも、自分の主体性と繋がりは切れていても、心の中ではどんよりした気持ち、自信のないような気持ちと共に、周りの人のことを思ったりしているものなんですよね。


自分がそこに行ったら、周りの空気を乱す気がするとか。周りの人たちは、僕が行くとあんま良い気はしないんじゃないかなとか。何だか自分の中に負のエネルギーがあって、そこが空気上を漂い、それが相手に呼吸を通して伝わってしまう。そんな感覚なのかと思います。


感じてることはネガテイブで、そんな気持ちを耳にした人はあまり良い気はしないだろうけど、でも、どこか人のことを思ってもいるんですよね。


どうしても、自分に価値がないと感じる時、自分がダメな存在だなって思う時、自分の存在を消そうとすることで誰かを愛そうとするものです。


それくらい人は人を愛したい生き物でもあると思うのですが、どこか周りの人も自分を愛したいと思ってるという視点に気付きづらいんですよね。



これは僕自身の経験でもありますが、高校生の頃、自分から空気のような存在になろうとしていたことがあったんですよね。それくらい自分自身の存在がダメダメで、こんな自分なんてという思いがめちゃめちゃ強かったからだと思います。


友人と一緒に居ても、自分の話をなかなかできないとか。部活の時もひっそりと後ろをついていくことがあったり。今思うとめっちゃ暗かったなあ〜(笑)と思うのですが、当時の僕はそれが周りの人のためになる気がしていたのです。


だからたま〜に、「え、居たの!?」とか笑いながら言われたりすることがあったわけですが、当時の僕はその言葉を「何でこんなこと言われなきゃならないのか」とちょっと怒りながら斜に構えて聞いていたりもしたのです。


でも今思えば、そういった言葉って「もっと話していいし、自分のアピールしていいのに」とか、「なんかお前のこと嫌なやつとかダメやつとか全く思ってないし、普通に受け入れてるよ」とか、そういう思いが言外にはあったと思うのです。


自分が自分自身を良くない存在だと思い、自分なんてダメなやつだと思う時、どこか自分が自分をどう見るか関係なく、自分を受け入れてくれてる目と繋がれないものだと思います。


でも、自分の存在は良くないものという見方を超えて、自分は良くない存在ではないと思えた時、自分のことを思い受け入れてくれた数々の目と繋がることができるように思います。



僕自身も改めて過去のことを思い出してみたとき、「居たの!?」とか「居ないかと思ってた」とか、言ってた存在が、僕に対して親身にアドバイスをしてくれてたんですよね。


サッカーの中で良いもの持ってるから、もっと自分を出していいとか。ここがちゃんとできるんだからとか。当時の僕は全くを持って(笑)受け入れることはできませんでしたが、周りの人は僕が思う何倍も自分を受け入れてくれてたように思います。



人って僕自身もそうでしたが、嫌われること以上に一番嫌なのは、自分のせいで誰かが嫌な思いをすることだと思うのですよね。


だからもし過去に誰かに嫌な思いをさせてしまった、迷惑をかけてしまったと、強く思う経験をしてしまったとしたら、そんな自分のことを最低な存在って扱ってしまうものだと思います。


でも、あなたがどれだけあなた自身を最低な存在だと。ダメな存在だと扱うことをしたとしても、周りの人たちは、あなたをそんな存在としては扱いたくはないものです。


それはあなたも自分が原因で、誰かに嫌な思いをさせたくないと思ってるように、周りの人もあなたに嫌な思いをさせたいとは全く思ってないからなんですよね。


分かり合えないことも、思いのすれ違いも、沢山あるのが人です。だからこそ、相手が自分を傷つけようとしたのでは!?とか、この人は人の気持ちを考えられないとか、そんな思いにとらわれてしまうこともあるかと思います。


でもそんなとき、自分がどれだけ人を愛そうと思ってる中に立ち返ってほしいのです。


もしあなたが自分を良くない存在とか、ダメな存在とか、居ても居なくても変わらない存在だと思ってるのなら、あなたは人一倍優しい心の持ち主で、とても大きな愛情深さを持っているのだと思います。


自分なんかより。自分みたいなのより。誰かが良い思いをして欲しい。報われてほしい。幸せで居てほしい。あなたが自分を責める思いには、そんな誰かへの優しさと思いやりが隠されているのだと思います。


こんなこと言ったら身も蓋もないかもしれませんが、あなたが自分を良い存在だと思えなくてもいいと思うのです。なぜなら周りの存在であなたを良い存在だと、優しい存在だと思ってくれてる人は必ず居ますから。


その思いが今届かなくても、必ずあなたの人生の中のどこかでその思いが届くはずです。


人はほんとに人を愛したいんです。人に優しくしたいんです。心の中では、ほんとに誰もがそう願っているものだと思います。


だからこそ、あなたが自分の存在が良いものだと思える日が必ず来ると思うのです。


ただただそう信じさせてください。これを読んだ方が少しでも自分の存在を良いものだと感じられますように。