挫折したぶんだけ労わってあげていい

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挫折という言葉。何かちょっぴり力強さを感じさせる言葉です。挫折から立ち上がったとか、挫折をバネに変えて夢を叶えたとか。挫折した幅が大きいだけ、何か大成できる気がする。根拠はないけどそんなことを感じたりもします。

 

挫折から何を学ぶのか。挫折からどう立ち上がるのか。それそれはいろいろなやり方があるかと思います。今回は挫折の乗り換え方ではなく、挫折という体験をどのような目で見ると心が晴れやかになるのか。僕自身の挫折の体験をもとに、書いてみたいかと思います。良ければお読みください。

 

 僕自身が挫折として感じた体験は、引きこもったことです。18の時に引きこもったのもあり、若くして引きこもったことが自分にとっての負い目でもありました。同学年の子は大学に入っている。でも自分の現状は引きこもりということで、何度も悩んだりしたものです。

 

引きこもる要因としていろいろな理由があるかと思いますが、端的に言えば人が怖くて引きこもったところがあります。人と目を合わせられない。顔が引きつってしまう。人がいると常に緊張する。いろいろな状態で怖さが体と心に表れました。

 

怖さを心の中で感じるたびに、これじゃあ大学に行くどころか、外にも出られないとよく自分のことを責めたものです。当時は現状が変わらないということもあったかと思いますが、引きこもった自分を肯定することは全くできませんでした。

 

当然だとは思いますが、自分が引きこもりであることを感じるたびに、将来への恐れと現状に対する焦りが出てきたものです。問題を先延ばしにできている安心感を感じることはあっても、ほっと一息つけるような安心感をあまり感じなかったものです。

 

どこか自分の現状を大きく変えなければならない状況にあるとき、自分にやさしい見方

を取り入れるとか、少しでも自分を大切にする視点を持ちにくいものだと思います。

 

僕のように引きこもりのような状況であると、状況を変えられない自分を感じるたびにこのまま変わらない自分をリアルにも感じたものです。どこか、引きこもった自分に負い目を感じながら、どんな人でも自分のことを否定するに違いないとも思っていたものです。

 

そんな自分が引きこもっている中や、引きこもりから脱出した後に、自分を肯定できた視点や考え方がありました。それをいくつかご紹介させていただきます。

 

まず一つ目は、昔から全く褒められなかった父に褒められたときです。引きこもり生活の中で、自分の心に原因があると感じ、内観する時間を多くとっていたのですが、「こんだけ同じことをできるなんてすごいな」と褒めてもらったことがあります。

 

元々、引きこもりの自分に負い目があり、両親にいつか出で行けとブチ切れられるのではないかと怯えてる自分もいました。そんな中で褒めてもらえたことで、なんだか味方になってもらえた気がしたのです。

 

それは、とことん自分のやり方でやっていいんだ、という安心感を感じられたものですう。その安心感が僕にとっては、引きこもりを抜け出すまでの諦めない強さに繋がったように思います。

 

似たような安心感でいえば、自分と同じ状況の人を探すというのがあると思います。

僕の場合、逆境に負けずに乗り越えた偉人の話を読むことで、若くして挫折を体験をした自分なら必ず将来自分は何かできるはず、と自分をふるいたたせていたものです。

 

そう思うたびに、襲い掛かってくる絶望や将来に対する恐れに負けずに、今自分がやるべきことに集中できたように思います。

 

どこか、逆境に見舞われてるとか、挫折を今まさに経験しているときというのは、自分を責めながら人との距離をとりがちになるかと思います。一人で乗り越えないといけない。でも乗り越え方もわからず、乗り越えられる自信も湧いてこない。そんな心境に僕自身もなったものです。

 

でも、必ずそんな状況でも、自分のことを見てくれている人もいると感じます。もしくは、自分と似たような体験をしているかたもいるものです。

 

引きこもった自分は誰からも否定されると感じていたときは、だれにも頼れず、心も安心することなく一人で乗り越えなければと思っていました。でも、今ではそれは誤解だったというのがわかります。必ずどこかに挫折した自分を受け入れてくれる人はいると感じます。

 

受け入れてくれる人の手を取り、その愛を受け取ることはとても勇気のいることです。

でもその愛を受け取れた時、自分の中から挫折や逆境を否定せずに、少しだけでも労える視点が持てるのではないかと感じます。

 

何かこれをお読みくださる方にとって、少しでも心安らぐ視点につながれば幸いです。