祈ることはできる

f:id:yuumamd:20210614202716j:plain祈りというと様々な場面を連想させます。

戦争に向かった旦那さんの無事を祈る奥様。

毎日のように教会に通い、大切な誰かの幸せを祈る人。


どこか僕自身の祈りのイメージとして、自分に何ができるかできないかを超えて、誰かの未来を思うこと、という風に感じていたりもします。


僕は介護のお仕事をしているのですが、お役に立てなかったなと感じることがあります。


もう少しこんな寄り添い方ができたら、目の前の方の心を楽にできるのかな、とか。

もっと上手く距離感を詰められる人なら、短い時間でもこの方を笑顔にできるのかな、とか。

あげればキリはないとは思います。


こんな風に自分の不足感を感じてる時、気持ち的には無力感や後悔を感じているものです。


自分はまだまだなのかもしれないとか、もっともっと色々なことができるようにならなきゃとか。強く悔しさや無力さが残るものです。


もっと、お客様の力になれる関わりができたらいいと思うのです。でも、どれだけ無力さを背負っても悔しさを感じても、できないことはできなかったりもするものです。


目標を立てたり、努力を重ねたり、関わり方に工夫を施しても、どこか、少しは残るんですよね。ああ、ここできてないなって部分が。そこが必ず、悔しさ、後悔にも繋がるものです。


自分一人ではどれだけ努力しても届けられないことがある。でも、誰かの幸せを祈った時、自分一人では届けられないものが届けられそうな気がする。


祈ることは、どこか、自分の思いを明日以降の自分や、また他の誰かに託すことだと感じたりもします。


自分には届けたいものを届けられないかもしれないし、与えたいものを与えられないかもしれない。でも、それを届けたい、与えたい、という思いは今自分は持っています。


なら、祈るということは、その思いが相手に届ききるまで諦めないこと、妥協しないことでもあるのかもしれません。


関わる方には、絶対に幸せを感じて欲しい。そのために色々なものを取りこぼしたくはない。もっともっと人の幸せに貢献できる自分であれたらとは願うし、幸せに貢献できる幅も広く、質も高い自分でいられたらと思います。


でも、自分がダメダメなのはわかってるから。自分がたとえ何もできなくても、何を与えられないとしても、でも幸せを祈ることで、目の前の人に何かが届くチャンスがあるなら。


誰かの幸せを世界中の幸せを祈り続けたいなとと感じたりします。


祈りを深めても、嫌だなと感じることも、イライラしたりすることも当然ありますけどね。でも、祈れた分だけ、自分の感情よりもその方のためとなるような選択をしたくなったりもします。


祈ってる本人が一番心地よさを感じられるのかな。不思議ですけどね。


何が何でも誰かに幸せになって欲しいとか、この人は絶対に幸せにならなきゃいけないとか。祈り続ける中で自然と感じることもあり、その思いと繋がれた時、やっぱり自分のパワーを感じたりもします。


だから、祈ることを通して、自分の日々の選択の質が変わるとか。夢を叶えたい理由や動機が変わるとか。日々与える物が変わることで自分の日々の感じ方も変わるとか。


自分自身に対しても色々なメリットがあるように感じます。よければお試しください。