しんどいって言えたらいいのに。

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「僕、しんどいんです。」

そんなことを口にできたら、どれだけ楽になるだろうかと考えたことが幾度となくあります。


しんどくなるのは、何かを頑張ってたり、無理するくらい一生懸命になってたり、一人で抱え込んでたりと、理由は様々。でも様々な理由の中で共通しているのは、誰かや何かのために頑張りたかったという思い。


しんどくても頑張りたいし、無理をしたい。どこか、しんどさを背負っている時、自分は苦しいけど、誰かが救われていたり、誰かが楽になってたりすることは多いものです。


ただどこか、しんどさを自分が抱えている時、自分のしんどさが軽くなるとか、楽になる、ということからは遠かったりしてしまうものだと感じます。


僕自身、お仕事の中でも、人生の中でも、何か胸の中に何かがつっかえてて、それがなんだかわからないという経験をしたことがあります。


あまりに、自分を置き去りにして、人のために何かをしていると、重苦しさを感じても、それが何故感じるのか?感じてるものが一体何なのか?というのがわからなくなってしまうものです。


それがふとした時に、しんどいって言いたいなとか。何か弱音を吐きたいなとか。気持ちを言葉にしたい衝動として現れることもあったり。


または、いきなり頑張れなくなったり、動けなくなったりなど。行動に抑制がかかる、という形ででてくることもあるかと思います。


でも、そんな自分が出てきても、人って自分を追い込むことが多いんですよね。もっともっと頑張らなきゃと思うとか。こんなんで弱音吐いてちゃしょうがないと自分を鼓舞したりとか。


しんどさが言葉や行動に現れてきた時には、もうめちゃめちゃ頑張ってる後なのに。どこか、しんどさを感じることが、頑張ってない証拠だと感じるとこってあるのかなとも思います。


でも、そもそもの理由を辿れば、なぜしんどさを感じるに至ったのか?なぜ重苦しさを背負うようになったのか?ということでもあるかと思います。


しんどくなる前に、今やってることをやめても良かったと思うのです。無理ですって、どこかで言葉にしても良かったと思うのです。


でも、やめることなく続けたということは、しんどさを感じてでも続けようと思った理由がそこにはあるはずです。


僕が思うことですが、しんどくなるほど頑張る時ってやっぱり根本のとこには、何かや誰かのためという思いがあるような気がするのです。



これは僕自身の経験でもありますが、介護のお仕事をしている中で、どうしても抱え込んでしまう部分がありました。


介護のお仕事をし、カウンセリングをし、また勉強をしていく日々の中で、もう無理だな〜とか、やばいな〜とか、思う瞬間って何度かあったんですよね。


これ以上できないなって、しんどいなって、そんな感覚でもありましたが、じゃあそれを口にできるかというとそうではなかったわけです。


介護のお仕事などは、連携して、協力して、お客様と関わり介護させていただくわけですが、個人的な理由で、しんどいとか、無理ですとか、とてもじゃないけど口にできる気がしなかったものです。


そんな時に感じていたのが冒頭の部分で、しんどいって言えたらどれだけ楽になるだろうな〜という気持ちだったわけですが、どこか自分の負担が減ることで、他の人の負担が増えるとか。他の人がしんどさを抱えてしまうとか、そんなことを考えたりもしていたんですよね。


でも、いつだったかな。その日もいつものように、しんどさを感じながらも頑張ってた時、横にある方が通りかかった時に、すごく気持ちが楽になった経験をしたことがあったんです。


その方は、人のしんどさに気付き寄り添える方で、誰かがしんどい思いをしてるのに触れた時、腰を据えて動き続けられる方です。


その時にその方が、僕のしんどさに気付いたわけではないかもしれないです。でも、なんだかそこでは、その方の日々人に寄り添う姿勢を感じたんですよね。

そしたら、その方に自分のしんどさを預けられるような気がしたのです。


それはどこか、自分がしんどさを抱えてまで頑張りたかった理由を、その方の姿勢が尊重し肩代わりしてくれてるような感覚だったように思います。



人ってしんどさが楽になる時というのは、自分の根本の思いに触れてもらったから、というのが多いように感じます。


自分はめちゃめちゃしんどいけど、他の人にしんどくなって欲しくないとか。誰かに無理してほしくないとか。誰かが抱え込まず笑っていて欲しいとか。


人への想いや愛情が自分が頑張らなくても伝わるとか、届くとか思えた時、人は自分のしんどい荷物を下ろすことができ、楽になりたいという気持ちに素直になれるのかなと感じます。



本当は人は人に沢山頼っていいし、沢山甘えていいし、沢山自分の気持ちにも感情にも素直になって、楽になっていいと思うのです。


辛いなら辛いと、しんどいならしんどいと。それを言葉にした時、相手にめちゃめちゃ迷惑がかかる気がするかもしれないけど、でも、それを言葉にしてもらえた方ってやっぱり嬉しいのです。


そして何より、しんどいって素直に言えることで、そのしんどさに触れようとしてくれる誰かの優しさに触れられた時。しんどくても誰かを大切にできてる気がしてくるものです。


しんどくてもいい。そして、しんどいときはしんどいって言っていい。僕自身、しんどいときは心の中だとしても口に出すことを大切にしてます。その方に教えてもらったことです。



今もし、心の中でしんどさや重苦しさを抱えている方がいたとしたら、それを心の中でもいいので、受け止めてくれそうな人に伝えてみてください。


それがもし身近な人であった時、あなたの何気ない行動や雰囲気から、あなたのしんどさを感じてくれることがあります。あなたを大切に思う人、あなたに寄り添いたいと思ってる人は、あなたのしんどさを感じたいと思ってるものです。


そして、あなたのしんどさが楽になることを。少しでもあなたの負担が減り、あなたの笑顔が増えることを願っているものです。


もし、そんな人の優しさに触れることができてあなたの心が楽になったとしたら、自分がなぜしんどくなってまで頑張っていたのかに気付くことができるかもしれません。


そしてそうなったら、益々その人に頼りたくなったり、心を預けたくなるでしょうし、救われた分だけ、その人や他の人に優しさを与えたい気持ちにもなるかもしれませんね。


あなたがしんどさの奥にある、優しさに気づいて触れることができますように。