何回頑張れないって思ってもいいじゃん。

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日々、自分が大好きなことに情熱を傾けるということは、とっても幸せな時間であると感じます。


ほんとに、自分はこの仕事がやりたかったんだとか。自分はこんな風に生きたかったんだとか。


自分の中にある、誰かの役に立ちたい。何かを表現したい。何かを与えたい。そんな思いに素直になり、自分の情熱の導火線に常に火を付け続けることができたとしたら、そんな毎日は最高の毎日なのかもしれません。


でも、時に、自分の大好きなことだとしても、本当にやりたかったことでも、この先どうすればいいのかと道を見失ってしまうこともあります。


それは、目指す場所がなくなるような感じかもしれません。日々、自分が一生懸命頑張っていて、それが成果に結びつくとか。自分の成長に繋がってくれるとか。


この頑張りが未来の何かに繋がると感じられていればいいと思うのです。でもそれを感じられなくなった時、そこでは、今自分が崖に立っているのではないかという恐れに見舞われることもあるかもしれません。


僕自身も、自分の情熱を失ったような、この先どうしたらいいのかわからなくなる気持ちに見舞われたことがあります。


僕はサッカーをやっていたのですが、心持ちは常にプロになることを目指して頑張っていたわけです。


ただ、自分の気持ちと実力やパフォーマンスは比例することはなく、自分の追い求めるようなプレーをできることはほぼありませんでした。


そんな中でもプロになりたいという気持ちは切らさず頑張っていたわけですが、ある日、これはもう無理かもしれないと感じた時があったのです。


ある練習の日、攻撃と守備に分かれ1vs1の練習をした時があったのです。その時僕は、二つ下の子とやることになったのですが、まあもう見事に勝てなかったのですよね。


実力がという以前に、どこか気持ちの面から負けてるような感じがしたのです。そこで、もうプロになるのは無理かもしれないと強く感じたんですよね。


こんな風に、情熱を傾けていた対象に絶望を感じる時というのは、文字通り自分の中から情熱の火が消えてしまうような感じかもしれません。


もう、何やっても自分はダメなのかもしれない。自分が頑張ったって無理なのかもしれない。そんな風に、自分そのものを否定しながら、どこかやる気というものも、自分の中からいなくなってしまうかもしれません。


きっとそんな気持ちの時、どんな言葉も届き辛いのだと思います。自分自身が夢というものに対してどれだけの努力をしていたのか。どれだけ諦めそうになりながらも前を向いてたのか。


そんな自分を悔しさと共に感じそうになっても、心の中で感じた絶望や諦めに嘘をつけるわけではありません。


一番諦めや絶望を感じた自分に失望しているのは、他でもない自分なはずです。なんでもっと頑張れないんだ。なんで諦めずにもっと前を向こうとできないんだ。


何かを諦めてしまった時に、一番自分に言いたい言葉はこんな言葉ではないかと思います。


でも無理なんですよね。一度でも無理だと心の底から感じてしまった自分が許せないから。


夢と言うくらいですから。一度でもできないって無理だって自分自身が思ってしまったら、決して叶うことはないと、どこかで感じるほどの大きな夢なんじゃなかったのかなと思います。


夢を持つことも、夢を持ってそこに向かっていくことも本来めちゃめちゃすごいことだと思うのです。ある意味、夢を持った瞬間から、まだ夢を叶えられない自分との戦いが始まります。


自分には無理なのかもしれない、自分じゃできないのかもしれない。軽い気持ちではそう思えるかもしれないけど、でも心の底からそんな風に思ってしまったとしたら、なんか全てが終わってしまいそうな気がしませんか。


自分に夢がなかったら、どんな生き方をすればいいのだろうかとか。この夢が叶わなかったらどんな毎日を過ごそうとか。夢を目指してる時ってあんまり考えませんよね。夢が叶わないって思うとめちゃめちゃ怖くなるはずです。


だから、もう自分にはこの夢を叶えられないって感じた瞬間って、めちゃめちゃ怖いし、それこそ崖に今自分が立ってるような、そんな絶望を感じてもおかしくないのだと思います。


でも同時に言えるのは、それだけの絶望と怖さを背中に背負いながら、毎日必死に頑張り努力してきたということでもあると思います。


自分の生き甲斐そのものだった夢を諦めた時、自分を認めることなんて簡単にできないはずです。それは今まさに、自分の人生や生き方の全てを覆い尽くすような絶望と怖さを感じてるように。あなたの人生や生き方の全てを傾けるくらいの大きな夢だったはずです。


だから、自分の夢を諦めざるを得ないとき、本当は咽び泣くくらいに泣いていいと思うのです。


よく甲子園や高校サッカーで、泣いてる学生がTVに映されることがあると思います。特に高校サッカーだと、ロッカールームので声を出しながら泣いてる学生が映されたりします。


どれだけの情熱を込めて毎日頑張ってきたんでしょうね。きっと夢を叶えて、仲間と共に笑い合う瞬間を沢山描いてきたはずです。


自分の努力が実らないかもという不安が湧き出てきても、それを小脇に抱えて、日々を直向きに頑張ってきたはずです。


僕はそこに泣ける強さを感じるのです。何が何でも叶えたかった夢で、その夢のために自分の人生の全てを懸けてきた。大舞台での試合に負けた学生が流す涙には、その学生たちの情熱と強さを感じるものです。


もし、自分の夢を諦めなきゃならないと感じた時に、一人でそう感じたとしたら、自分の感情を涙を通して感じられるわけではないかもしれません。


なぜ自分は諦めてしまったのだろうか。どうして自分はもう頑張れないのだろうか。そんな気持ちの方を強く感じ、自分を責める思いばかりを感じるかもしれません。


でもそれはそれで大切な時間だと思うのです。夢を諦めるということも、夢を諦めた自分も惨めで情けないものかもしれないけど。でもあなたがあなたを責める思いの強さだけ、あなたはその夢に向けて頑張ってきたのだと思います。


きっとずるずると、何年も引きずってしまうことの方が多いかもしれません。何年経ったあとでも、夢を諦めた時のことを思い出し、ぐずぐずと後悔をしてしまうかもしれません。


でもそれはあなたの中で何年も自分を責めていたいほど、その夢に本気だったっていうことでもあります。


夢は叶わないかもしれません。叶わず悔しい思いをたくさんすることになるかもしれません。ただあなたが夢を叶えようと必死になり、情熱的に頑張ってきたことは事実です。そのあなたの頑張りは何よりも大切なものでありませんか。


夢を失ってすぐは、自分の頑張り続けられる強さに中々気づけないかもしれません。あなたがあなたを責めている時でも、あなたの心の中にはあなたの強さがあり続けてくれます。


どれだけ燃え尽きても、どれだけ何かを諦めたとしても。あなたは何度だって立ち上がり前を向いていくことができます。


一度は、何かを本気で頑張ってきたのですから。そのあなたの特色が変わるわけではありません。


何回泣いても、何百回自分を責めても、何回諦めた自分を呪っても。あなたの本質はずーっと変わらないものです。だからどうか、沢山沢山頑張った自分を受け止めてあげてくださいね。


あなたがどれだけ悔しい思いをしても、惨めな思いをしても、泣くような思いをしても、あなたはまた必ず立ち上がるはずですから。


どうかこれを読んだ方がご自分の頑張りを大切にできますように。強く願っています。